宇多田ヒカルのノンバイナリー公表は必要か? ジェンダー問題の息苦しさ(水野詩子)

 歌手の宇多田ヒカル(38)が、6月26日のインスタライブ中に自身が「ノンバイナリー」であることを宣言した。ノンバイナリーとは、身体的性に関係なく自身の性自認・性表現に「男性」「女性」といった枠組みをあてはめようとしないセクシュアリティーのこと。

 宇多田は自身の話題に触れる前に、クマのぬいぐるみを「別のスペシャルゲストであり、私の親友を紹介します。彼の名前はクマちゃん。男の子でゲイなんです」と英語で紹介。6月18日に英語で書かれたメッセージには「日常生活で"ミス""ミセス""ミズ"を選ぶのはうんざり。結婚歴や性別で自分自身を認識されるのは不快」とつづり、ジェンダー問題に対する意識の高さが伺えた。

 しかし、ネット上の声では<様々な人がいて当たり前だと認識はしてるけど、なんでもかんでもカミングアウトすればいいという問題でもない><LGBTQという言葉だって最近知ったのに、ノンバイナリーって新しい言葉ばかりで覚えられない>など昨今のジェンダー問題に関する流れの早さや、宇多田の公表の必要性、用語の多さに戸惑いを隠せないという人も一定数見られた。

■欲しいのは用語やカミングアウトより"寛容さ"と"社会制度"

 筆者自身、LGBTQの知り合いや取材などを通して社会全体の枠組みとして"性"というものに捉われない価値観の形成が重要であることはもちろん承知しているつもりだ。

 しかし最近、LGBTQやジェンダーに関する話題が乱立しているのを見ると、カミングアウトすること自体がファッションになりつつあるのと、社会を変えるよりも自分を認めてもらうための主張になっていっている空気感を感じ、それがマジョリティー側の閉塞感を生んでいる気がしてならない。

 このままだと"女性に生まれて良かった"などの発言も「ジェンダー差別だ」とか「LGBTQに配慮のない言葉」といわれかねないのではないかと危惧している。

 JAL東京ディズニーリゾートの「レディース&ジェントルメン」のアナウンス廃止なども、「正直そこまでやる必要性があるのか?」と感じるし、実際にLGBTQの方々に意見を聞いた時も「私たちが求めているのはそういうことではなく、社会の制度そのものや、LGBTQや性的マイノリティーに対する寛容さが欲しいのだ」というリアクションが返ってきた。

 言葉だけを配慮するとか、どちらか一方だけに何かを強いることではなく、縛りを緩め、偏見を少なくしていくためには、「寛容さ」が双方に必要であり、寛容さを求めることと、理解すべきだと強要することは全く違うものである。

■マジョリティーに対する新たな差別を生む可能性も

 主張次第では、逆にLGBTQやXジェンダーに属する人たちが、"どうせ理解してくれない""どうせ差別する"と、マジョリティーに対する「偏見」や「差別意識」を助長させてしまう可能性もある。大切なのはマジョリティーvsマイノリティーの対立構造をいかになくしていくかということだろう。

 マイノリティーに配慮するがあまり特別扱いし、さらに偏見を増やしてしまっては元も子もない。

 ジェンダー問題に関して10代~20代は割と柔軟な価値観を持っていると感じるが、その上の世代は、理解したいがどこから理解を始めるべきかわからないという人も存在している。

 意識改革のきっかけは大切だと感じるが、上げる声の数が増えれば増えるほど、本当に差別を受け苦しんでいる人の主張がただの承認欲求を満たすだけの主張にかき消されてしまう可能性もある。

 "寛容さ"はマイノリティー側とマジョリティー側、双方に必要な認識といえるかもしれない。